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神戸新聞 2002/07/22
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【地域通過で心の自立を】--新しいコミュニティーを創造する会代表 赤井俊子

去る七月七日、県内の六つの地域通貨実践団体の協力を得てひょうご地域通貨サミットを開催した。各団体の会員さんをはじめ、多くの大学や自治体関係者の参加を得て盛大に開催することができた。実行委員の一人として関係していただいたみなさんあらためてお礼を申し上げたい。

繁栄の極限としてのバブル期の後は「失われた十年」と呼ばれている。あれほど浮かれた時も振り返ればむなしい時期であったのだ。バブル期を環境面から言えば人々を猛烈な勢いでエネルギー消費に向かわせた時期とも言える。

政治的、経済的に不安定な社会である。世界を見渡せば、戦争、貧困、文明間の衝突など解決の難しい問題がひしめく。

他国の事業によって一国もたちまち影響を受けるグローバル社会だから、いつ、どのような変動があるかわからない。年金、税金、ペイオフ問題などお金に関する不安材料も多い。このような状態の中で次に描ける社会とは、どのようなものなのか。

こういう時は自分たちで地元から不安を無くす努力をするしかない。地方分権は自立なくして語れない。自立への道は簡単ではないが不可能ではない。

自立といえばまず経済的自立を考えるのが自然だが、グローバル社会にあって経済的自立が難しい要因の一つはその富が他のところへ流れることである。世界には豊かな地域資源を持ちながら相変わらず貧しい国や地域がある。それはその地域の富が他所へ流れているからである。地域の富はできるだけそこで利用できるような地域循環を考えることが重要であろう。その方法の一つに地域通過がある。

また物的資源だけでなく地域の埋もれた人的資源を十分活用する必要がある。経済的自立はそれ自身が目的ではない。言うまでもなく人々の「生」を充実させる手段である。そこに住む人々が充実した「生」を生きることが究極の目的である。

「エンデの遺言」の放映を契機に日本では各地で地域通過が実践されるようになった。その中でエンデはお金の問題を考えることを通して人間としての「生」の質を問いかけているのである。人が生まれて生きる価値をどこにおくのか。悠久の時の流れの中でたまたまこの世に生を与えられ限られた時間を生きる私たちにとって最も関心のあるのはいかなる「生」を生きるかということ。そのことを常に頭において経済を考えていれば食品ラベルの偽装というような恥ずかしい問題を起すことはないだろう。

地域が自立の方向に向かうとともに一人ひとりが充実した生活をめざして、自分の出来ることで互いに助け合う。地域通貨は、このようなことにも応えてくれる。地域通貨がどれほどの役割を担えるのか疑問に思う人も多いことだろう。もちろん地域通貨は万能ではない。しかし地域を変えるきっかけとして充分期待できる。少なくとも実践している中で思いをつなぐ楽しさ、温かさを感じている。また工夫次第でさまざまな可能性があることも実感している。多くの人がそれを感じているからこそ今回のサミットに関西はもとより関東からもはるばる参加してくださったのだと思う。

地域通過はまだ充分知り尽くされているわけではない。だからこそ魅力があるともいえる。これからもささやかな実践をしつつその可能性を探っていきたい。


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